2007年01月26日

Posted by ichi
at 05:37
Comments(2)

島ないちゃー

島ないちゃー

また一つ歳をとりました!

「何でも出来る」っていうほど、もう若くないですねー(´□`;)

ブログタイトルについて少しぃ~ チョトくらいー、、、


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自分の生まれは 滋賀県。

沖縄に来たのは小学校に入る直前だったと想う
小学校に入学すると、その日からいじめられた

数人に囲まれ叩かれつねられ
「アガーって言え!」「 ないちゃー!」といった感じだ。

生まれてからずっと関西弁しか話したことがなかったから大変だった。

保育園(といっても~6歳まで一貫)が好きだった。
仏教系の保育園で、お坊さんの園長先生も座禅も他の先生も友達もみんな大好きだったから、

ショックだった。

でもそれも入学して暫くの間のことで、
自分が読谷訛りで話せるようになるのと平行するように、
みんなと仲良くなっていった。
先生にも可愛がられた。
特に音楽の授業が一番好きで、先生は今でも尊敬している。
いつも気にかけてくれた、自分の事を心から理解してくれる人だった。
卒業するまでずっと小学校は楽しい場所だった。


でも、中学に入るとまた始まった。
もう「アガー」は言えるのだが、
「ないちゃー!」は相変わらずだった。

小学校の時とは違って一向に収まらず、
むしろエスカレートしていった。
特定のメンバーに、
外見を攻められるようになった。

休み時間の度に自分の周りに集まってきて
鼻を殴られた。
「鼻デカイなー。だぁー貸せ」
と言っては、かわるがわる殴られた。

身体的な特徴を攻撃される事で、殴られるどうこうの痛みじゃなくて、
精神的にとても辛かった。

小学校からバスケ部だった事もあって、中学でもバスケ部に入って頑張っていたが、
エスカレートした彼らはそのうちに、
上履きを隠し、靴を盗み、宝物のように大切だったバッシュを捨てた。
母親が無い金作って買ってくれたバッシュだった。

学年が上がってクラスが別になり少しほっとしていたが、
まもなくの事。理科の授業を終えてクラスの教室に戻ると、
自分の教科書が使い物にならなくなっていた。
母に簡単に買ってくれとは言えなかった。

彼らは部活にまでついて来るようになり、
その内に自分は行かなくなった。

顧問とみんなには申し訳なかった。

学校が辛いだけの場になってしまった。


彼らは今度は家までつけてくるようになった。
2階に住んでいたが、ベランダをよじ登って家に入り込み
お年玉で買った、大切な CD をとっていった。

毎日が憂鬱になった。


学校に行けば鼻を殴られる、
先生は明らかに現場を見ているのに、
倒れている俺に向かって
「チャイムが鳴っているだろ、早く席に着け!」
と言った。

彼らは中心的な存在だった。
先生も恐かったんだろうと、今は想う。

他の先生・生徒は言葉のまんま、「見て見ぬ振り」だった。

味方がいない訳ではなかった。
部活の仲間や顧問、
それに対等に接してくれるのは、不思議と
男も女もヤンキーが多かった。
つるんでてもなにか強要する訳でもなく、「バスケはいいのか?」とか
「おまえは高校行けよ」とか。そういう事を言ってくれた。
喧嘩するにも基本はフェアだった。
今会ってもいい連中だ。


味方はいたが、
授業中学校にいる時は1人で耐える感じだった。
そのうち、
鏡を見る度死にたくなるようになった。
周りと違う
自分の顔が嫌で嫌でたまらなかった。
父親を恨んだ。父親の血が流れる自分に吐き気がした。
沖縄も嫌いになった。


自分は卒業を前に仕事を探すようになった、
家に高校に行くだけの余裕が無い事がわかっていた。
母は行きなさいといってくれた。
でも、学校という場に嫌気が差していたので、
行きたいという気にはならなかったし、
むしろ母に無理をさせたり、借金をさせたりしてまで行くだけの意味を感じられなかった。


職を探す。

職安に行っても 15 歳の自分が働ける場所はなかった。
足もない。
卒業式の日
自分は仕事を求めて1人関西にとんだ。

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と、つらつらと端折って書いてまいりましたが、
それから、今まで辛いと想っていた事がどうでもいいと思えるぐらい
色々大変な目にあって行きますヾ(`・ω・´*)

これからが面白いです多分(*・ω・)
書ける事書けない事ありますが、
2 、3 回に分けてそのうちー

大体こんな感じでーすヽ(o・∀・)ノ
暗ーい感じでごめんなさい。

今とっても元気です♪ヾ(・∀・`*)ノ
最後に一言

今沖縄大好きです♪


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この記事へのコメント

誕生日おめでとう。

なかなか暗い誕生日記事ですね。。。
私も小中といじめられっ子でしたが、ここまで酷くはなかったですよ。
ジャイアニズムな「お前の物はオレの物」で私物や給食が取られたり、「のび太のくせに生意気だぞ」で殴られると言ったお子様チックな程度でしたし、我慢が限界突破した時は、相手殺す勢いで反撃してたし(笑)

でも、辛い思いをして、死にたくなるくらいの嫌な事があっても、それを乗り越えた分、強くもなれるし、人にもやさしくなれると、私は思います。
何事も無くだ~らだらと学校に行って、大した苦労も無く生きてきた人よりも積んだ経験・自分の中に残っているものは絶対に多いはずですよ。(ichi 自信も分かっているだろうけど。)

生きている以上、これからも辛い事はあるだろうけど、周りに居る家族を、仲間を、そして自分を大切にして、なるべくは笑えるようにいきましょうぜ。

それでは。。。

Posted by 黒田(職場に居るベース初心者) at 2007年01月26日 13:19

黒田さん!

はじめましてw
いや~くら~い記事ですが、
コメントありがとうございます♪

殺す勢いですか!?なかなかデンジャーですね(^-^)

でもほんとに殺さないのが黒沢さんです。
その辺のさじ加減は黒木さんだから安心ですねー♪

「なるべく笑えるように」

自分に一番必要な事かもです。
一年と言わず一生のテーマにします(>_<)/

記事の内容から数年後、
いつ殺されるんだろうってずっと逃げまわってた時期がありましたー一年ちょっとぐらいかなー
その間ほんとに全く笑わなかったかもですw
今はせっかく笑える環境なので、楽しく生きていきたいでーす。

黒渕さん ありがとうございます♪
これからもどうぞよろしくですw

Posted by ichi at 2007年01月30日 05:45
 
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